ジレンマ2
明神が目を覚ますと、そこは階段下の辺りだった。
何故か両足が階段の二段目と三段目に引っかかっているのでそれをそっとどかす。
立ち上がると少し首が痛い気がした。
耳を澄ませても何の音もしない。
どうやら住人達はそれぞれどこかへ出かけている様だった。
姫乃がこのうたかた荘にやってきてからだが、どうも全員集合するのは姫乃が学校から帰って来た夕方頃になる。
自然に、そうなっている。
何となく、外に出ていても姫乃が帰ってくる時間になると、そろそろ家に帰らないと…と思ってしまうのだから不思議だと思う。
ゴキゴキと首を鳴らし、顔を洗うと適当に乱れた髪を整える。
時計を確かめ、ちょうど良い時間。
我ながら己の体内時計には感服する。
今から行けば、丁度姫乃が学校から出てくるくらいになるだろう。
今朝謝れなかった分、今から学校まで迎えに行こうと思った。
…特に何か気持ちがある訳じゃなくて、ただそうしたいと思ったから。
顔を見せればきっと姫乃も安心するだろう。
朝出て行き、今居ないところを見ると同じ事を考えているであろうガクよりも早く。
別に対抗意識がある訳ではないけれど。
そうと決まると明神は黒いコートを掴むと玄関の鍵を閉める。
朝ガクの様子がおかしかったのは気になるけれど、少し早足で歩き出した。
昨晩は仕事帰りに報酬をしっかり貰ってきたので、懐も少しは暖かい。
お詫びに、何か甘いものでも、と考えると自然に想像するのはお菓子を幸せそうにパクつく姫乃の顔。
想像につられて微笑む明神。
跳ねる様に歩いて(走るというには遅く、歩くというには早く)学校へ向かう。
しっかり寝たので疲れはまだ残っているけれど眠気はもうない。
頭はすっきりしていた。
目の前の曲がり角を曲がれば校門。
そこで明神はガクとばったり出くわした。
「あ。」
「お。」
お互い、あからさまに表情を曇らせる。
そして口を開けば罵り合いが始まった。
「何をしに来た明神。永久に眠っていればいいものを。」
「何しにってひめのん迎えに来たに決まってんだろ。朝は謝りそびれたからな。詫びろっつったのオマエだろ、ガク。」
「責任を取れと言ったんだ。もうろくしたか?明神。」
「要は同じ事だろうが。」
「詫びるなら死ね。死んで詫びろ。」
「オマエなあ…ホント、消すぞ?」
お互いに譲らない。
普段ならハイハイと無視するところだが、今日は明神も引かなかった。
睨み合ったまま動かない二人。
「何なんだよ、朝からやけに絡むじゃねえか。」
「いつオレが絡んだ?オマエがいちいちカンに触る行動をするからだろうが。」
ガクは変な奴だと自覚はしているけれど、明らかに最近ガクは変だ。
変というか、やけにイライラして突っかかってくる。
「だから、なんだよそのカンに触るって。オレはいつも通りだっての。」
「オレもそうだ。元々オマエが気に食わん。」
その時、校門から出てきた姫乃が明神の後姿を発見した。
「あ!!明神さん!…と、ガクリン?」
『ひめのん。』
にらみ合っていた男二人の声が重なった。
丁度表情も声色も大体一緒。
笑顔で、少しいつもより高い声。
お互いがその事に腹を立て、一瞬目を合わせるとまたにらみ合う。
「どうしたの?」
駆け寄り、首を傾げる姫乃に二人は同時に「何でもない!」と答えた。
その勢いに一瞬怯む姫乃。
「そ、そう?…あ、明神さん!怪我は大丈夫なの?心配したよ?なかなか帰ってこないんだもん!」
明神の姿を見てほっとして、ほっとすると待っている間に積りに積もった不安や苛立ちを思い出した。
さっきまできょとんとしていた姫乃が突然怒りだし驚く明神だが、姫乃を見ると目が赤く充血していて、眠れなかったのだろうか、もしかしたら泣いたのだろうかと罪悪感に襲われる。
姫乃は明神のコートをぎゅっと握る。
「ひょっとして、って思ったら怖くて。そしたら、どうしようって考えて、でもどうしようもないんだもん。私何にも出来ないから。怖かったよ。」
「ゴメン。でもホント、大丈夫だから。ちゃんと報酬も貰ったし、怪我も殆どねえ。時間がちょっとかかっちまったんだ。悪い。」
唇をかみしめてぐっと泣くのを我慢する姫乃。
「ごめんな。もっと強くなるから。」
もう一度謝られ、フンフンと首を縦にふる姫乃。
その姫乃の頭をポン、と撫でる明神。
姫乃が顔を上げて、少し口を尖らせる。
明神が許してよ、と苦笑い。
姫乃も、笑った。
その一部始終を、ガクは見た。
いつもなら天にも昇る気持ちになれる姫乃の笑顔から目を背けた。
ガクは目を背けてしまった自分に驚いた。
「ガクリンも、今日はありがとう。」
声をかけられても反応が出来ない。
真っ直ぐ目を見れない。
時間をかけ、ガクは軽く頷いた。
「…ガクリン?どうかした?」
姫乃が心配そうにガクの顔を覗きこむ。
「そいつが変なのは今に始まった事じゃねーだろ?」
「なんだと明神。」
明神の軽口には零コンマ三秒で反応出来る。
気まずい空気を誤魔化せたとほっとしながら、明神に助けられる格好になった事が腹立たしい。
姫乃の横をすり抜けると明神の胸倉を掴む。
その手を明神が叩き落とす。
「朝の続き、きっちしやっとくか?」
ボキボキと指を鳴らす明神。
「望むところだ。」
ボン、と巨大なハンマーを取り出すガク。
一触即発。
「二人とも何やってるの!!こら!!!!」
明神とガクが一斉に姫乃の方を向く。
「明神さんは怪我してるんだから喧嘩したら駄目でしょ!?ガクリンもそんなに怒らないの!」
『…はい。』
また声がハモる。
何なんだ今日はとげんなりする明神だが、どうもガクも同じ事を考えている様だ。
心底嫌そうな顔をしている。
「もう、そういうところはそっくりなのになあ。」
『冗談じゃない!!!』
「ほら。」
もう何か口にする事が嫌になり、二人は黙る。
これ以上姫乃のペースに嵌められると次は何を言われるかわからない。
二人を見比べて、姫乃は笑った。
「じゃあ帰ろうか、三人で。」
嫌だと言いたかった。
けれどその言葉もきっと一緒に発してしまうかと思うと口に出せず、二人ともしぶしぶ頷いた。
それを見て満足そうに微笑む姫乃。
三人で並んで歩きだす。
姫乃を挟んで、右隣に明神、左隣にガク。
時々眠そうに目を擦る姫乃を守る様にぴったりと側に。
男二人は競い合うかの様に姫乃に話しかけ、自分の方に振り向いてもらおうとする。
姫乃は均等に二人の会話に答えているけれど、だんだん二人はヒートアップしていく。
我先に、我先に。
どうしてこんなにムキになってしまうのか、明神はイマイチ自分が理解できない。
ガクがつっかかるから?
姫乃が、ガクとばっかり話をしていると面白くない。
ああほら、嬉しそうに笑って話をすると決まってざまあ見ろ、と言いたげなガクの視線。
何でそんな顔すんだ腹立つなあ。
何でそっちばっか見るんだオレが今話してるのに。
もっともっとこっちへ。
「もう!二人とも、いっぺんに話しかけられたら何言ってるかわからないよ?」
とうとう、同時に話しかけだした二人に姫乃が白旗を揚げる。
「明神、貴様が黙れ。」
「あ?オマエがどっか行けよ。」
「喧嘩しないの!もー、せっかく二人一緒に迎えに来てくれた!って思ったのに。」
『一緒じゃない!!』
「…一緒じゃないの。」
『違う!!何でこんな奴と…っ!!!!真似、すんなー!!!』
とうとう、殴り合いが始まった。
「もー!!二人とも、やめてって!!」
この気が変になりそうなもやもやは、ガクの苛々がうつったんだと明神は結論付ける事にした。
むしゃくしゃする気持ちを振り払う様に殴り合って、お互いがお互いのフラストレーションを発散させる。
殴るとすっきりして、殴られるとムカついた。
「もう知らない!私一人で帰るからね!」
走り出した姫乃。
手を止め、ポカンと立ち尽くす男二人。
「…オマエのせいだぞ、明神。」
腫れた頬を撫でながら言うガク。
「何言ってやがる。テメーのせいだ、ガク。」
切れた唇の血を拭う明神。
姫乃の背中は遠くなる。
『…。』
我先に、二人は走り出した。
「ひめのん、ごめん!!もう喧嘩しないって!!」
「ひめのん、すまない!もうこんな馬鹿相手にしない!」
「んだとォ!?」
「ア゛ァ!?」
一瞬立ち止まり、お互いに牽制する…が、更に遠ざかる姫乃の背中。
『…。』
再び、無言で走り出す。
一体何の競争なのか。
ゴールは姫乃。
姫乃を追う二人のスピードは徐々に上がっていく。
我先に、姫乃の元へ。
傾きかける夕日の下、生者と死者の徒競走が始まった。
あとがき
ジレンマの続き…で、どちらかというと明神の視点で、な話です。
明神が姫乃を気にしだすきっかけを、ガクが自分で作ってしまっている、という感じで…。
2007.03.28